▽関連資料
TNFの歴史
19世紀後半、Coley等は、腫瘍を患った患者が感染した際、その腫瘍が偶然にも消失し、更には治癒することがあるということに気が付きました。これに基づき、Coley達は不活化したグラム陰性菌及びグラム陽性菌の混合ワクチンを作り、悪性腫瘍の治療に利用しました。それを「Coley毒素療法」と呼びます。Coley毒素を使うことにより、軟部組織腫瘍の患者の生存率を高めることに成功したため、当時、大変高い評判を得ることとなりました。
1936年Coleyが去った後も、人々は、それまで広く利用されていた化学療法や放射線治療とともにColeyワクチンにも関心を持ち続けることとなりました。それから100年以上たった今、人々は「Coley毒素療法」に再び注目し、この治療法の主な原理は、体内で大量に発生したTNFが抗腫瘍作用に関与するということに気が付いたのでした。
1975年Carswellは、研究中、BCGを摂取したマウスに大腸桿菌の内毒素を注射した後、血清中に一種の物質が発生し、その物質が移植した腫瘍の出血、壊死を引き起こすということを発見しました。その物質は腫瘍壊死因子(tumor necrosis factor,TNF)と呼ばれることになりました。
TNFはαとβ二種類に分かれ、TNF-αは活性化マクロファージから産生され、悪液質(cachectin)とも言います。TNF- βは活性化のリンパ細胞から生じ、またはリンパ毒素(lymphotoxin)とも言い、二者は類似した生物活性を有します。[1]
CarswellがTNFを発見した後、多くの学者は、他の研究において、TNFが体外と体内で様々な腫瘍細胞に対し明らかな細胞毒性作用があるということに気が付きました。1984年にPennicaらは初めてTNFのcDNAをクローン化し、大腸桿菌中での発現に成功しました。
その後、多くの学者はTNFの臨床研究に取り組むことになります。
1987年からヨーロッパ(ドイツ、イギリス、フランス、ポーランドなど)、アメリカ、日本などでは続々とTNFに関するI期及びII期の臨床実験報告が発表されました。しかし、その大部分はTNFに対して希望を抱いた多くの人々を失望させることになりました。なぜならば重度の感染患者はその副作用に耐え切れず、万が一患者が耐えられたとしても、その薬剤濃度では抗腫瘍作用を起こすには到底及ばないからです。研究発表から、抗腫瘍作用の理想的効果をあげるのに必要なhTNFの用量は人体が耐えられる最大用量の5−25倍が必要であるということが分かりました。[2]
そのため、当時TNFの研究は低迷しほぼ停滞することとなったのでした。
しかしTNFの抗腫瘍作用がすでに明確であったため、TNFの研究を諦めない学者は少なくありませんでした。90年代中期以降、研究者は次々とTNFの局部使用の臨床研究結果を発表しました。
TNFの局部使用(多量の局部注射、腫瘍内注射、胸腹腔内注射等)では良い効果が得られ、全身での使用においても、重度の副作用を避けられるということを証明しました。
この発見が、人々をTNFに再度注目させることとなったのです。
TNFの抗腫瘍作用を高めると同時に副作用を無くすため、国内外の多くの研究機関が惜しまぬ努力を続け、hTNFの産生にTNF分子の構造改良が必要不可欠であることが分かったのでした。研究を深めるにつれ、高作用、低毒性の新たなTNFについての成果が次々と得られ、TNFの研究は新たな進展を向かえることとなったのです。